Japanese Film Festival
営業時間:
10:00-18:00 10:00-18:00
19 мая 2010 г.

映画上映会 追悼・木村威夫特集

日本映画上映会 追悼・木村威夫特集

 

日にち: 2010年5月19日-27日 

会場: 映画館 "ピオネール"

住所: モスクワ, Кутузовский проспект, 21

問い合わせ電話番号: 8(499)240-52-40

主催:  

国際交流基金
在ロシア日本国大使館
国立中央映画博物館
映画館 «ピオネール»
協賛 «Pioneer»

入場無料
 上映会への入場は無料ですが、事前の予約が必要です。無料入場券の予約はこちらのアドレスまで→ museikino.pioner@gmail.com または、映画館 "ピオネール"へ電話 (+7 499 240 5 240)でお申込みください。予約の受付開始は5月12日からです。映画の題名、日時、お名前と必要な券の枚数をお伝えください (お一人様2名様まで)。 上映開始20分前までにご来場されない場合は、予約は取り消しとなります。

 

             

 

 

 

5月19 日~27日、国際交流基金、在ロシア日本国大使館、映画博物館、映画館 «ピオネール» 主催、パイオニア社協賛で美術監督・木村威夫追悼特集日本映画会を開催します。この映画会の一環として、日本のレトロ映画やクエンティン・タランティーノ監督にも影響を与えた鈴木清順監督の作品を上映します。上映会の最後には、«千利休 本覚坊遺文»でロシアでも有名な日本の稀有な監督の一人、熊井啓監督作品を上映します。

 

木村威夫 (Takeo Kimura, 1918-2010年) – 傑出した美術監督で、日本映画で知られざる巨匠の一人。彼は200以上の映画作品に携わったが、中でも洗練された鈴木清順監督と組んで賞賛を受けた。木村は1941年に有名な映画スタジオ«日活»に入社した。ここで、鈴木作品の傑作の多くが撮影された。監督は、自分の協力者について暖かく応えている: «木村はどの映画もまるで最後の作品であるかのように撮影した。彼は “もしこれが私の最後の作品なら、やりたいと思ったことを全部できる”と考えていた。 だから、私は彼と芸術家のように仕事することが気に入っている». 木村は、日本アカデミー賞を受賞したが,一度もやめようと思ったことなかった。2008年、90才のとき、自身の最初の監督作品を撮り、世界最高齢の映画監督デビューの記録でギネスブックに載った。2010年3月21日没。

«彼を — 意識的かそうでないか — アクション映画や60年代ポップアートの様式を撮るすべての演出家たちが引用する。鈴木の影響は、 地理上のお隣、ジョン・ウーやジョニー・トーの作品にはっきりと見ることができる。もし”西”について話すなら、リュック・ベッソン (魅力的な 作品«サブウェイ»は «東京流れ者»を参考されたい), ジム・ジャームッシュ (ぎこちなく 武士道を重んじる «ゴースト・ドッグ»は «殺しの烙印»を引用している) 、そしてもちろん、クエンティン・タランティーノ (華麗な «キル・ビル»第1章は «東京流れ者»の作風で作られた, 一方、クライマックスの戦いは «刺青一代»を思い出させる)を名指しすべきである». イワン・デニーソフ, Cinematheque.ru

《上映スケジュール》

 

                                                    
5月19日(水) 20:00 「雁」(ロシア語弁士あり)                          

 

5月20日(木) 11:30 「雁」(弁士なし、英語字幕)

 

         20:00 「自分の穴の中で」」(ロシア語弁士あり)

 

 

5月21日(金) 11:30 「自分の穴の中で」(弁士なし、英語字幕)

 

         20:00 「悪太郎」」(ロシア語弁士あり)

 

 

 

5月22日(土) 18:00 「花と怒濤」」(ロシア語弁士あり)

         20:00 「春婦伝」」(ロシア語弁士あり)

 

 

 

5月23日(日) 18:00 「東京流れ者」」(ロシア語弁士あり)

         20:00 「ツィゴイネルワイゼン」」(ロシア語弁士あり)

 

 

5月24日(月) 11:30 「花と怒濤」(弁士なし、英語字幕)

         20:00 「父と暮らせば」(ロシア語字幕あり)

 

5月26日(水) 11:30 「春婦伝」(弁士なし、英語字幕)

 

         20:00 「忍ぶ川」」(ロシア語弁士あり)

 

 

5月27日(木) 11:30 「東京流れ者」(弁士なし、英語字幕)

 

           20:00 「千利休 本覺坊遺文」」(ロシア語字幕あり)

                                         
 
上映作品の紹介                

 

«雁» (Gan/Wild Geese/The Mistress), 監督 豊田四郎 (Shirô Toyoda), 1953年, 104分

下谷練塀町の裏長屋に住む善吉、お玉の親娘は、子供相手の飴細工を売って、わびしく暮らしていた。お玉は以前妻子ある男とも知らず一緒になり、今度は呉服商だという末造の世話を受ける事になった。が、それは嘘も、末造は大学の小使いから成り上った高利貸しで、醜い世話女房にあきたらずお玉に目をつけたのである。お玉は大学裏の無縁坂の辺の小さな妾宅に囲われたが、末造に欺かれたことを知って口惜しく思った。しかし漸く平穏な日々にありついた父親の姿をみると、せっかくの決心もくずれた。その頃毎日無縁坂を散歩する医科大学生の群れがあった。偶然その中の一人岡田を知ったお玉は、いつか激しい思慕の情をつのらせていった。末造が留守をした冬の或る一日、お玉は今日こそ岡田に言葉をかけようと決心をしたが、岡田は見事試験にパスしてドイツヘ留学する事になり、丁度その日送別会が催される事になっていた。岡田の友人木村に知らされて駈けつけたお玉は遂に岡田に会う事が出来なかった。それとなく感づいた末造はお玉に厭味を浴びせ、お玉は黙って家を出た。不忍の池の畔でもの思いにたたずむお玉の傍を、馬車の音が近づいてきて、その中で楽しそうに談笑する岡田の顔が、一瞬見えたかと思うと風のように通り過ぎて行った。夜空には雁の列が遠くかすかになってゆく。

«自分の穴の中で» (Jibun no ana no nakade/ A Hole of My Own Making), 監督 内田吐夢 (Tomu Uchida), 1955年, 125分

志賀伸子は、医師の伊原と、娘の多美子との結婚を希っているようだ。主人を失った志賀家は未亡人の伸子と義理の娘多美子、その兄の順二郎との三人暮しで、遺産生活の内容はさほど楽ではない。順二郎は長い病床生活で、現在は株の売買に唯一の生き甲斐を見出している。義理の母のすすめる伊原との縁談を多美子が嫌がるのは、母と伊原の間をうたぐっているからだ。かつて志賀家の玄関番だった小松鉄太郎は、多美子を愛しながらも気が弱いため、彼女の結婚話を当然のことのように眺めているのだ。彼は会社に辞表を出すと、関西旅行に出かけた。志賀家に残された最後の財産―京都の地所を処分するため、京都へ行くことになった多美子は伊原を呼び出して箱根で一夜を明かした。順二郎は伊原を自宅に呼び妹との結婚をすすめたが、伊原は彼女の相手には小松がふさわしいと答えた。そして送って出た伸子を抱きしめて首筋に接吻した。一方、多美子は京都で小松と出逢い、同じ汽車で帰京した。伊原と小松は酒場で久しぶりに顔を合せたが、この店にも伊原の女がいた。そんな女たちの目の前で、伊原は箱根の夜のことを冗談めかして語るので、小松は伊原を殴りつけた。多美子が伊原に会って箱根の責任をただすと、伊原は「君は僕との結婚を計算ずくで考えているだけで、心に愛情などありやしない」と呟いた。一方、小松は九州に職を得て東京を離れようとし、多美子がとめるのを振りきって出発した。伸子が実家に帰る決意をした夜、順二郎のかつての妻が志賀家に現れ、衝撃で順二郎は喀血し危篤に落ち入った。母が去ったあと、多美子は臨終間近の兄から、株のために財産の殆どを使い果したことをきかされた。順二郎は墓穴に、生きている人も各自自分の穴にこもり出ようとはしない。ある者は古い、ある者は無気力な、ある者は現実的な穴の中に入っている。順二郎の遺品を焼く多美子の表情は過去と現実の苦痛を必死に耐えようとするものであった

 «悪太郎» (Akutaro/ The Bastard), 監督 鈴木清順(Seijun Suzuki), 1963, 95分

頃は大正の初期、素行不良、悪太郎の名を着せられて神戸の神聖学院をクビになった紺野東吾は、母の知人である豊岡中学の近藤校長に預けられた。転校一月を経ずして悪太郎の悪名は全校にひろがった。五年生の風紀委員は、東吾を目の仇にして、ことごとく対立したが、いつも東吾の屁理屈にやりこめられていた。そんなうちに東吾は校医の娘で豊岡小町と騒がれている恵美子を知った。友人の丸井から、風紀委員の鈴村も恵美子に夢中だと知った。東吾は鈴村を短刀で脅かし恵美子から手を引かせた。そして、自分は恵美子に近づく機会を着々と狙っていた。ある日、下宿の前でにわか雨に降りこめられた恵美子とその友人の芳江をみつけた東吾は、二人を自宅に招き入れ、恵美子と文学論をたたかわせた。その帰途、恵美子を強引に紳社の境内に誘い、いきなり唇を奪った。恵美子も東吾を好いていたのだった。これを機会に、二人の仲は急速に深まっていった。二人の逢引きの場所は、旅館の娘である芳江の手引によって、旅館の部屋が提供された。ある日曜日、恵美子は京都の叔母の家に行くことになった。京都の旅館で初めて結ばれた二人は、叔母の家に行かずに芳江の旅館に帰ってきてしまった。それを鈴村がみつけたから話は大きくなった。風紀部がくる。校長が来る。岡村が来るで二人の仲は一挙に明るみにでてしまった。東吾は退校処分になった。恵美子は親戚の家に預けられ、東吾は東京に出た。東吾は小説家になるため苦学しながら学校に通った。そんな時、恵美子は急性結核となって死んだ。東吾は、その悲しみに負けることなく、小説家としての勉強にはげんでいくのだった。

«花と怒涛» (The Flower and the Angry Waves/ Hana to doto), 監督 鈴木清順 (Seijun Suzuki), 1964年, 92分

頃は大正、尾形菊治は、東京湾埋立地の負債をする村田組の飯場で土工たちの人望をかちとっていた。ある夜、菊治は村田組の小頭桜田と乾分に襲われた。近くの料亭からこれを見ていた馬族芸者万竜に助けられたが、反対に桜田にその度腕のよさをかわれた。ある日、村田組とは大東電力の工事をめぐってライバルである玉井組の賭場へのり込んで、菊治は一勝負挑んだ。と、そこへかつて浅草六区で格闘寸前となった、不気味な殺し屋風の吉村と再会した。そんなある日、菊治は政財界の巨頭重山音蔵に気に入られ、組の小頭にとりたてられた。一方、玉井組の組長は無法者の井沢がたち、しかも万竜に思いをよせているとあって、組の間は険悪になった。悪どい手段でことごとに挑戦する井沢を菊治は面詰した。万竜にはねつけられ逆上した井沢は菊治を半殺しにしようとしたが、またも万竜の好意ですりぬけた。大東電力の工事利権は、ようやく村田組の手に入った。広大な埋立地はたちまちにして修羅場と化した。重山の仲裁でその場は和解したものの、一方ではみえがくれに菊治について廻る吉村の不気味な姿があった。賭場で菊治の命を狙う村田の罠に陥って怒った菊治は村田を一気に刺殺した。菊治に好意を持った万竜は、菊治がおしげという女と駆け落ちして来た夫婦であると知って愕然とした。吉村はその二人を斬るべく追い狙っているのだ。どこにもいられなくなった菊治とおしげは、重山に救いを求めた。重山のきもいりで満州渡航と決まり、新潟港で出航を待っている菊治を追って、万竜がかけつけた。が、おしげと間違えられ吉村の一刀のもと息絶えた。菊治にも切りかかる吉村。ようやくおしげは雪の新潟港に着くが、・・・・・・・

«春婦伝» (Shunpu den/Story of a prostitute), 監督 鈴木清順 (Seijun Suzuki), 1965年, 96分

天津の売春婦春美は、裏切った不実な男の舌を噛み切ってしまうほど気性の激しい女だった。春美は思い出を振り切るように、奥地へ向かうトラックに乗る。途中、卑猥な言葉を投げつける兵士たちに、春美は「みんな私のところにおいで、私はね、いろんな男の身体に私をぶっつけたいんだ」と叫ぶ。

 八路軍に襲われ、射殺された兵士などを目のあたりして、一緒に来た百合子やさち子は逃げ出そうとするが、春美は「私が生きるのはここしかありゃしないよ」と決然と言い放つ。そんな春美と、同じ車に乗っていた三上の目が合い、お互いじっとみつめ合う。

 孟県の日の出館に着いた女たちに、あるじの町田は、他に行くところもないから来る、千人の大隊全員を十人の女で相手にしなければならないと言う。春美は、今から商売始めるよ!と叫ぶ。

 春美の部屋で、明日、分遣隊に出るという倉持が泊っていると、乱暴にドアを叩き、有無を言わせず部屋に押し入って来る男がいる。副官の成田である。横柄な口のきき方で、倉持を追い出すと、反抗する春美を殴り飛ばして、荒々しく抱きしめる。始めは抗っていた春美だが、しだいに感覚に溺れて行く。娼婦たちの噂では、成田は部隊長の威をかりて勝手放題をし、兵隊は人間扱いせず、女も犬や猫と同じだと思っている男なのだ。そんな男なのに、女は、一旦彼に抱かれると、何もわからなくなってしまうのだ。

 夜、兵隊たちが隊列をなして続々と来る。春美のところには、あの三上が来て春美をうれしがらせるが、三上は「副官殿が今夜来られる。夜は客をとらずに待っているように」と伝える。彼は副官の当番兵だったのだ。春美は「あたし、副官の女じゃない」と叫ぶ。

 成田に抱かれながら口惜しがる春美に「真正面から俺を憎んで来たのはお前が始めてだ」といいながら、成田は副官というものの権威を得々と語る。成田に殴られても、ただ人形のように無低抗な三上を見て、春美はこの人形を副官に反抗させられたら、副官の権威をズタズタに出来ると思いつく。

 ある夜、伝令に来た三上を物置に押し込んだ春美は「なぜ私を汚らわしそうに見るのか」とつめ寄り、三上にむしゃぶりつくが、三上は「馬鹿にするな」と春美を殴る。

 部隊長室の新作戦説明の夜、成田を迎えに来た三上を、今夜は副官は帰らないからと春美は、物置小屋に押し込む。しかし、相変わらず副官に忠実な三上を春美はなじった。ところが、頭痛を訴え、しゃがみ込んだ彼を横たえ口づけすると「あたしをぶったあんたの怒った眼を見た時から、あんたが好きだってことが分った」と春美は告白する。愛し合った後、三上の眼に光る涙の訳を尋ねる春美に三上は「副官どのに申訳ない」と床に頭をうちつける。翌朝、副官を迎えに来た三上は肩を落として成田について行く。

 三上の同僚宇野は、インテリ兵で少尉だったが、反軍思想で一等兵に降等されており、古兵たちにからまれる。彼は中国人売春婦つゆの部屋で良く本を読む。彼女に日本人売春婦と同額を払うのは宇野だけだった。

 ある日、成田に電報を届けに来た三上を物置に連れ込んだ春美は、いまだに成田に気がねする彼を激しくなじる。しかし、成田の呼ぶ声に、三上は飛び出す。分遣隊が敵襲を受けたという大事な電報を早く彼に知らせなかったと、三上は成田に殴り飛ばされる。

 分遣隊のいた村は八路軍の逃げた後で、分遣隊は全滅していた。通訳の宇野の制止を振り切って成田は村を焼き払う。宇野は三上に「お互いに生命を大切にしよう」と言い残して脱走する。

 そのころ、日の出館では、さち子が開拓農の息子と結婚するという話でもちきりだ。そこに討伐隊が帰って来る。成田は逃亡した宇野を隊の名誉のために戦死する。三上は思わず成田を見る。日の出館のつゆ子に宇野があずけていた本には「理想のつらぬかれぬ国には/いさぎよく別れを告げる」とある。さち子は馬に乗って嫁に行った。

 その夜、将校たちの会食があり、春美は三上にからむが、三上は周囲を気にしておどおどしている。しかし、副官が酔いつぶれると夜、隊を抜け出して来る。物置で逢い引きをしていた二人は、巡察将校に見つかってしまい、三上は、西門の営倉に入れられる。

 成田が春美に三上と何度寝たのかとこらしめていると、敵襲で西門が攻められる。三上は、射手が足りないので営倉から出され前線へ行かされる。それを聞いた春美は、飛び交う弾丸の下を、塹壕にまで走る。負傷して一人残された三上を抱き締めていた春美だが、八路軍の兵が来て、二人とも捕虜になる。

 八路軍に協力するように要請された三上が拒んでいるところへ宇野が現われる。三上は、宇野のことも罵倒し、死のうとするが、春美は死なせはしないとすがる。日本軍が行動を開始したので、八路軍と一緒に行こうと勧める宇野を三上は拒絶する。

 軍に戻った三上は軍法会議にかけられることになった。そこへ、嫁に行ったさち子が、相手は気違いだったと打ちひしがれて帰って来る。

 面会に来た春美に手榴弾を取って来てくれと三上は頼む。危険を犯して春美は取って来るが、三上はすでにトラックで移されている。隊の名誉のために三上を密かに殺そうというのだ。しかし、敵襲に会って三上はふたたび隊に戻って来る。そこで、三上は混乱のなかで、一緒に逃げようという春美を振り切って「俺が卑怯かどうか見せてやる」と言って安全ピンを外した手榴弾の上に身を投げる。春美も身を投げ、自爆した。隊では、彼を戦病死として処理した。

 つゆ子は「二人とも生きようとすれば生きられたのに、日本人はすぐ死にたがる。死ぬなんて卑怯だ」と言い捨てて、丘の彼方に去って行った。

«東京流れ者» (Tokyo Drifter/Tôkyô nagaremono), 監督 鈴木清順 (Seijun Suzuki), 1966年, 89分

 ヤクザ稼業から足を洗いカタギとなった、“不死鳥の哲”こと本堂哲也。そんな彼を襲う黒い影があった。かつて敵対していた大塚の一味だ。絶対無抵抗主義を貫く自分のボス・倉田の厳命を守りぬいて拳銃を抜かぬ哲也であったが、不動産業を営む倉田のビルを狙って大塚は、ことごとく喧嘩をふっかけてきた。「哲也と引き換えなら、ビルの問題から手を引く」という大塚側の要望を倉田は一蹴したものの「せめて当分東京から姿を消してくれ」という言葉を耳にした哲也は、東京を後にする。途中、大塚の追っ手・辰造からなぶりものにされているところを一匹狼の殺し屋、流れ星の健次に助けられた彼は、健次の世話になっている新潟の港町へ向かう。一方、東京では、哲也のいないのを幸いに、大塚は甘い工サを向けて、倉田を丸め込もうとしていた。新潟から佐世保、どこへ行っても安住の地を見出せない哲也は、東京へと戻り、敵方に寝返った倉田の姿を見、空しい対決へと突入していくのであった。

«ツィゴイネルワイゼン» («ジプシーのメロディー») 監督 鈴木清順 (Seijun Suzuki), 1980年, 145分

ドイツ語学者、青地豊二郎と友人の中砂糺の二人が海辺の町を旅していた。二人の周囲を老人と若い男女二人の盲目の乞食が通り過ぎる。老人と若い女は夫婦で、若い男は弟子だそうだ。青地と中砂は宿をとると、小稲という芸者を呼んだ。中砂は旅を続け、青地は湘南の家に戻る。歳月が流れ、青地のもとへ中砂の結婚の知らせが届いた。中砂家を訪れた青地は、新妻、園を見て驚かされた。彼女は、あの旅で呼んだ芸者の小稲と瓜二つなのである。その晩、青地は作曲家サラサーテが自ら演奏している1904年盤の「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを中砂に聴かされた。この盤には演奏者のサラサーテが伴奏者に喋っているのがそのまま録音されている珍品だそうだ。中砂は青地にその話の内容を訊ねるが、青地にも、それは理解出来なかった。中砂は再び旅に出る。その間に、妻の園は豊子という女の子を産んだ。中砂は旅の間、しばしば青地家を訪ね、青地の留守のときも、妻・周子と談笑していく。そして、周子の妹で入院中の妙子を見舞うこともある。ある日、青地に、中砂から、園の死とうばを雇ったという報せが伝えられた。中砂家を訪ねた青地は、うばを見てまたしても驚かされた。うばは死んだ園にソックリなのだ。そう、何と彼女は、あの芸者の小稲だった。その晩は昔を想い出し、三人は愉快に飲んだ。中砂は三人の盲目の乞食の話などをする。数日後、中砂は旅に出た。そして暫くすると、麻酔薬のようなものを吸い過ぎて中砂が旅の途中で事故死したという連絡が入った。その後、中砂家と青地家の交流も途絶えがちになっていく。ある晩、小稲が青地を訪ね、生前に中砂が貸した本を返して欲しいと言う。二、三日すると、また小稲が別に貸した本を返して欲しいとやって来た。それらの書名は難解なドイツ語の原書で、青地は芸者あがりの小稲が何故をんな本の名をスラスラ読めるのが訝しがった。そしてニ、三日するとまた彼女がやって来て、「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返して欲しいと言う。青地はそれを借りた記憶はなかった。小稲が帰ったあと、周子が中砂からそのレコードを借りて隠していたことが分かり、数日後、青地はそれを持って小稲を訪ねた。そして、どうして本を貸していたのが分かったのかを訊ねた。それは、豊子が夢の中で中砂と話すときに出て来たという。中砂を憶えていない筈の豊子が毎夜彼と話をするという。家を出た青地は豊子に出会った。「おじさんいらっしゃい、生きている人間は本当は死んでいて、死んでいる人が生きているのよ。おとうさんが待ってるわ、早く、早く」と青地を迎える…。

«父と暮らせば» (Chichi to kuraseba/ The Face of Jizo), 監督 黒木 和雄 (Kazuo Kuroki), 2004年, 99分

1948年。広島。原爆投下から3年が過ぎた。美津江の心には、以前と変わらず、1945年8月6日になくなった父や友人、他の多くの人々の面影が生きている。彼らなしでどうやって将来を生きようか? 自分には家庭の幸せを得る権利があるのだろうか? 彼女が勤めている図書館を度々訪れる内気な青年に求婚されたとき、美津江は繰り返しこの質問を自分に問いかける。なくなった父は、娘の魂の葛藤を克服するよう助けようとする。彼の魂は美津江を訪れ、人生は続いていき彼女はぜひとも幸せにならねばならない説得する。以前に撮影した、«TOMORROW明日» と «美しい夏キリシマ»に続く、黒木和雄の戦争三部作最後の作品。 宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信出演。

«忍ぶ川» (Shinobugawa), 監督 熊井 啓 (Kei Kumai), 1972年, 121分

««忍ぶ川» — 三浦哲郎の小説 «忍ぶ川» (1960年)の映画化,  «小市民»の誠実な物語。彼らの苦しみと喜び。  «忍ぶ川»には複雑なストーリーはない。愛の物語であり、愛の作用による主人公たちの変貌の物語である。大学生の哲郎は、重い家族の連鎖に苦しんでいた-彼の兄弟姉妹は奇妙な事情で若くしてなくなっていた。哲郎は、彼もそのようになるのではと恐れている。彼は、小さな料亭 «忍ぶ川»の看板娘、志乃 ("モスクワ, わが愛"の栗原小巻が演じている)を愛す。志乃は子ども時代の暗い思い出を担って生きている。哲郎との出会いは、志乃の人生を変えた。1972年に熊井監督が撮ったこの映画は、監督のまったく新しい一面を発揮した。» ( «たたきつけられた挑戦»より, インナ・ヘンス)

«千利休 本覚坊遺文» (Sen no Rikyu/Death of a Tea Master), 監督 熊井 啓 (Kei Kumai), 1989年, 107分

多くの禅宗の茶人が不興を買い、死刑にされた太閤秀吉の時代 (16世紀)。偉大な茶人、千利休にも切腹の命が下った。弟子の一人が師との黙想と面談を思い出しながら、千利休が生き、名誉の掟を形成していたものを理解しようとする。なぜ人々は彼の道と死をまねようとしたのか?切腹を許されない、彼より身分の低いものさえ、皆利休との魂の一体を求めて死を志した…

 

 

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