俳句講演会「楸邨が芭蕉から学んだこと」
第8回国際ロシア語俳句コンクールの表彰式に出席するために訪露する俳人・池田瑠那氏による講演会です。日本の俳人と交流できる貴重な機会です。ぜひお越しください。
【場所】モスクワ日本文化センターレクチャールーム(ニコロヤムスカヤ通り、1)
【入場無料】登録は不要ですが、図書館に入館するために身分証明書が必要になりますので、パスポートをご持参ください。
【講義内容】
「俳句は、人間の表現である。」と述べ、俳句による人生や生活の表現を志向した人間探求派の俳人、加藤楸邨(1905~1993)。彼は芭蕉の研究者でもあります。今回は楸邨がしばしば用いる「なり入る」という語を糸口に、楸邨が芭蕉から学んだことについてお話します。
【講師プロフィール】
池田瑠那(いけだ・るな)
1976年11月18日生まれ。
2004年「澤」俳句会に入会。小澤實に師事。
2007年、澤新人賞受賞。
現在、澤同人。俳人協会幹事。
澤の五十歳以下の俳人/エッセイ 池田瑠那
地球への帰還、宇宙への挑戦。
某月某日、句会後の宴会にて。
「最近なるべくカルシウム摂っているんですよ。あと二センチだけ身長、伸ばしたくて」そう言いながら私は焼ししゃもの皿に箸を伸ばした。「二センチって、また何で」と句友。「あの私、身長 一五六センチなんですよ。ロシアの宇宙船の『ソユーズ』って搭乗者の身長制限があるそうで、一五八センチないと乗れないんですって。もし今後文系人間にも広く宇宙飛行への道が開かれた場合に、身長不足で諦めるの、口惜しいですからねー」「……」いや、幾ら何でも宇宙飛行への道がこの「私」の所まで開かれることは、万に一つもなかろうが。――焼ししゃもを、頬張る。
「瑠那さんは、何でそんなに宇宙へ行きたいの。宇宙へ行って何がしたいの」
「あ、外から地球を見てみたいんです。もうユーリ・ガガーリンに始まって、アポロ計画の飛行士達も、最近宇宙行った人も、皆さん地球の美しさ大絶賛ですからね。きっと奇麗なんでしょうね、地球」
さてここからは、宴果て元気に帰宅して からの考えごとである。……自分はなぜ宇宙飛行に憧れるのだろう。
地球を、見てみたい。それから、地球に帰って来たい。そうだ、帰って来たいな、と私は思った。
先日、精神医学者・小此木啓吾の『モラトリアム人間を考える』を読んだ。通読すると私には首肯しかねる点もある論であったが、映画「未知との遭遇」の宇宙人の姿と現代人を重ね合わせる発想には目を瞠った。以下引用する。
「人工環境なしには一日も暮せない、ひ弱な存在になってしまっているにもかかわらず、全能の機械に自己を一体化させることによってあたかも自分自身が全能であるかのような錯覚【イリュージョン】の中で暮している。〈中略〉すでにわれわれは、巨大な自然支配力のシステムから構成された人工環境と いう、母なる胎内で、頭でっかちで、ひ弱な、あのUFOの中の宇宙人になってしまったのではないか。」本文の初出は昭和五二年だが、二一世紀の人間の在りようを予見した鋭い指摘である。また、小此木は「自動応答機械(池田注:パソコンやロボットなど)は、次第に人と人とのかかわりを我々の生活から排除し、それらに代わる位置を占めるようになった。」とも述べている。
成程現代人にとって、宇宙船内とは案外日々の生活実感に近い空間なのかも知れない。そして肥大し続ける機械文明に組み込まれた私達現代人の人間関係はいよいよ希薄化、流動化し、この地球上で確たる自分の居場所を掴むのは難しくなりつつある。だがそのために感じる孤独や疎外は、密接にして時に理不尽な人間関係の桎梏 からの解放、快適な一人乗り宇宙船を操作してどこへでも行ける自由と引き換えにしたものだ。だったらまあ良いか、孤独や疎外で人間死にゃあしない、どんと来いっ、とも思う。
とは言うものの……となお割り切れぬ思いを抱く貴方のために、私のために、俳句が、在る。季語を含み、挨拶の心を含む俳句は、疑似宇宙船生活を送る現代人を生【なま】の地球に強制的に帰還させる。言わば帰還したての宇宙飛行士の眼を以て地球上のあらゆるものを目映く、瑞々しく見ることを可能にしてくれるのである。更に俳句はそれを作った人間の足を句会(及び宴会)に運ばせ、人と人とのかかわりを回復させるはたらきも持っている。
私の、行けもしない宇宙への憧れは、地球への「帰還」を果たしたい思 いと表裏一体のものであった。そんな自分が俳句と遭遇したからには、地球人としての体感を取り戻し、この奇跡の星の景をしかと詠んで行きたい。
一方で、現代人即ち宇宙人――地球上における濃密な繋がりから切り離され、埋め難い孤独を抱えて人工環境を生きる者――としては。疑似宇宙船生活や、そこで見る夢想もやはり、詠みたいのである。現代を生きる自分にとってはそれもまた実感された現実だ、と考えるからだ。そしてまた、宇宙空間や宇宙船内の景も積極的に詠んでいきたい。生命の欠片もない暗黒の宇宙空間、人工の極みのような宇宙船内を想うことの内に、生命とは何か、自然とは何かといった問題が、却って尖鋭的に表れると考えるからだ。地球への帰還と、宇宙への挑戦と。自分の中の 二大プロジェクトは続く。と書くと大仰だが、句を詠み句会に出、宴会に出るのを支えに暮している、ただそれだけのことである。
《参考文献》Y・ガガーリン「地球は青かった」(糸川英夫責任編集『宇宙への遠い道』文藝春秋・昭和四五年刊所収)/立花隆『宇宙からの帰還』中央公論社・昭和五八年刊/小此木啓吾『モラトリアム人間を考える』中公文庫・昭和六十年刊/古川聡・林公代・毎日新聞科学環境部『宇宙へ「出張」してきます』毎日新聞社・平成二四年刊