写真展『エリアナ・パヴロワ 日本におけるクラシックバレエのロシア人創始者』
2013年4月10日 — 5月15日
国際交流基金モスクワ日本文化センター
ソルジェニーツィン名称ロシア海外センター
共催
エリェナ パァヴロヴァ顕彰会 (日本)
鎌倉市文化人権推進課 (日本)
日ロ青年交流センター(JREX Fellowship)
«エリアナ・パヴロワ 日本におけるクラシックバレエのロシア人創始者».
エリアナ・ニコラエヴナ・パヴロワ=トゥマンスカヤ (1897-1941年)は、サンクト・ペテルブルクで貴族の家庭に生まれた。8歳からバレエを始め、10年間、ペテルブルク演劇学校の教師により私的教授を受け、バレエ学校の全課程を終了した。
エリアナ・パヴロワのバレエ人としての第1歩は容易ではなかった。革命後、母と妹のナジェージダと逃れたハルビンで、半年間、わずかなバレエレッスンで稼いだ。
大変な困難があったが、上海、北京、大連でバレリーナとして舞台に立つことができた。
日本での最初のバレエ出演は、1916年、マリンスキー劇場がが公演に来たときだった。1922年、日本人は有名なアンナ・パヴロワの舞台を見て、本物のバレエ・ブームが始まった。皆が「ロシア・バレエ」を学びたがった。しかし、日本には誰もおらず、別のパヴロワ、エリアナが現れるまで教えられるひとはいなかった。1920年、エリアナは母と妹とともに、日本へ移った。家族はそのまま日本に残っている。
1925年、エレアナはバレエ劇団を創る。その最初の公演は、東京の«白鳥座»であった。1926年、日比谷の舞踏フェスティヴァルに参加。この年、«青山会館» で有名なオーケストラ エンリコ・ロッシとバレエの夜を開く。エリアナの出演か演出で舞踏の小品を見せた。
1927年、鎌倉に日本で最初のバレエ学校を開いた。この学校は、日本のバレエ芸術の最初の芽となった。そこで、東勇作、橘秋子、近藤玲子、大滝愛子、島田廣らを育てた。
戦中は、多くの芸術家が日本の兵士の前で公演するために戦場へ送られた。1941年、このような慰問にエリアナも出かけた。 南京で破傷風により死去。彼女のお骨は鎌倉へ運ばれ、市の計らいで葬儀が行われた。
妹のナジェージダは姉の仕事を続けた。鎌倉のバレエ学校は1982年、彼女の死まで続けられた。
日本ではエレアナ・パヴロワは"日本バレエの母»と呼ばれるに値する。彼女のバレエ学校があった場所の建物の前には、«日本バレエ発祥の地»という記念碑が掲げられている。
日本で大切にされているエリアナ・パヴロワの名前は、祖国ではほとんど知られていない。
写真展では、ロシアで初めて、エリアナの教え子たちや、鎌倉のエリアナのバレエ学校が保管していた写真や手紙を展示する。
写真展は、日本とロシアの文化的結びつきを学ぶために大いに役立つでしょう。
住所:
モスクワ, ニコラヤムスカヤ通り, 1
問い合わせ先電話番号: (495) 626-55-83/85