第12回国際ロシア語俳句コンクール 選評
第12回国際ロシア語俳句コンクールの入賞作品について、過去のコンクールの際にモスクワにゲストとして招へいした俳人の皆様に、選評をいただきました。
小澤實(2018年 第10回国際ロシア語俳句コンクール表彰式ゲスト)
望月とし江(2017年 第9回国際ロシア語俳句コンクール表彰式ゲスト)
池田瑠那(2016年 第8回国際ロシア語俳句コンクール表彰式ゲスト
町田無鹿(2019年 第11回ロシア語俳句コンクール表彰式ゲスト)
小澤實
ロシア語俳句愛好者のみなさま、こんにちは。
おひさしぶりです。なつかしいです。
新型コロナウイルス感染症が蔓延する恐ろしい世界がやってきて
しまいました。俳句でもっとも楽しいのは句会という座をともにすることです。
その「座」の成立がむつかしい時代が来てしまったのです。
にもかかわらず、第12回国際ロシア語俳句コンクールを開催されたことは
すばらしいことでした。今年のテーマの「長い休み時間」もこの現実と向き合っていて、
とてもよかったと思います。みごとな句、たのしい句をたくさん見せていただきました。
それぞれのジャンルから二句ずつ選び、評してみました。しかし、それ以外にも
魅力的な句が多かったことをご報告いたします。
日本のわたしたちも対面の句会の開催はかなわず、メールでのやりとりの句会を
開いています。このかたちが新たなる「座」の発見になるかもしれません。
新型コロナウイルスの終息まで、なんとか生き抜きましょう。
そして、再会の上、ふたたび俳句について語り合いたく存じます。
【伝統俳句】
3位 アンナ・セミダ選
吹雪バス停に雀が群れ集う
ヴェスラフ・カルリンスキ
ポーランド、ナムィスルフ
評
吹雪のバス停だというのに、雀が集まって来ているのです。
とても不思議ですね。餌が撒かれてあるのかもしれませんが。
自然の中の不思議、そして、命の在りようを捉えることが、
俳句ではとても大切であると考えています。
アンナ・セミダ、サンジャル・バインベトフ選
水たまりに氷 初年兵らの刈上げた後頭部
ラナ・フェドトワ
カルーガ
評
寒い中、初年兵たちの訓練が行われています。
水たまりの中の氷と若い兵たちの刈り上げた後頭部がよく
響き合っています。「もの」に徹した取り合わせが、いいですね。
兵士たちの思いなどには、一切触れてはいません。
しかし、そうしたことによって、逆に兵士たちの緊張感も伝わってきます。
【現代俳句】
3位 ヴィクトル・マズリク選
あなたとこんなに遠くまで来すぎた-まっさらな雪
マリーナ・シャポヴァロワ
ウラジオストク
評
雪に興じて、この恋人たちは思わぬ遠出をしてしまいました。そのことに気づいた後に、さらに雪のまっさらなことに驚いているのです。雪への思いの深さに共感いたしました。
「雪月花の時最も君を憶ふ 白楽天」と重なる雪への親和を感じました。
雪が降る……あなたの髪に触れられたなら
Rudzi
ウクライナ、チェルノモルスク
評
降り出した雪から恋人の髪を触れたくなる思いが導かれるのは、とても自然です。「触れたくなる思い」、触覚について触れているのにもとても共感しました。恋の憧れがたしかな手触りになって感じられてくるのです。
【川柳】
タチヤナ・ソコロワ=デリューシナ、エレーナ・シャスチナ選
外出禁止ハ長調にて家で大食い生活中
※ハ長調(ド・マジョール)と
家で大食い(ドーマ・ジョール)をかけている
セルゲイ・ホリョフ
サラトフ
タチヤナ・ソコロワ=デリューシナ選
通夜の席 未亡人を前妻二人が慰める
ナタリヤ・クズネツォワ
モスクワ
評
短編小説のような味わいがあります。通夜ではありますが、未亡人と前妻二人とが親しく話しを交せるようになるまでは、膨大な時間がかかっていることでしょう。時間が大きなテーマになっているような気がします。時間がじっくりとときほぐした寛容が、すばらしいです。
【フリースタイル】
冬が来たジャガイモを茹でている間に
woda w reshete
リャザン
評
冬の到来をジャガイモを茹でている間に感じとっています。
「ジャガイモを茹でている」という具体的な動作と
冬の到来に気づいた感覚とが、ぴったりと合っています。
ジャガイモは日本では秋の季語ですが、気にすることはありません。
当地では永い冬の間、保存食としてよく食べるのでありましょう。
北風……低い枝は「イエス!」高い枝は「ノー!」
ズース
イスラエル、ツファット
評
冬の北風が木を揺らし、枝が音を発しています。その音を
よく聞き取っているのです。低い枝と高い枝とが違う音を出している
というのです。低い枝は風を肯定し、高い枝は風を否定しているということになります。ここにアニミズム的自然観を感じました。木の中に二つの異なる意志を感じているところです。
また、掲出句には、現代の世界における深い分断も感じないわけにはいきません。それを嘆く思いも含まれているのでしょう。
【テーマ部門「長い休み時間」】
1位
祖父と孫歯のない口で微笑いあう
パヴェル・ヴォロンツォフ
ノヴォシビルスク
評 祖父と孫とがともに歯が無い口でほほえみあっているというのです。祖父は老いて、歯が抜けて、孫は幼くて、歯が生えていなくて、年齢が大きく違うのに、歯の状態が共通するというのが、おもしろいですね。その二人の間に楽しい会話が成立しているのでしょう。二人が笑いつつ話しているのがわかるのもいいですね。長い休み時間の間にこんな瞬間があったら、すばらしいです。
遠方からの電話姪が姉の声で話す
マラト・シェリフ
ウクライナ、リヴィウ
評 遠方からの電話があって、久しぶりに姪の声を聞きました。
こどもだとばかり思っていた姪が、いつか成人していて、
その声が、いつか聞いた姉の声になっていることに驚いているのです。
遠方とは、距離のみならず、大きな時間が経っていることも意味して
いるのかもしれません。この久しぶりの電話も長い休み時間のもたらしたものでしょう。
望月とし江
【伝統俳句】
2位
雷の反響椅子に揺れる置き忘れたショール
スヴェトラーナ・ソコロワ
アメリカ合衆国、サンフランシスコ
このショールは美しい色で繊細な薄いものなのでしょう。雷の不安感と、纏っていた女性のイメージが投影されています。「揺れる」は雷に震えたように見えたと同時に、たった今女性が去っていった場面を暗示しているようです。「遠雷やはづしてひかる耳かざり 木下夕爾」という句を想起しました。ドラマチックな一句です。
<そのほか、目に留まった作品>
3位
秋の公園露にまみれたビール缶
アンドレイ・スリマ
ワシュリンスカヤ駅
だれかが飲み捨てていったビールの缶。ロシアの秋の蕭条とした情景がものに託されて浮かんできます。缶の金属の質感と露が鮮やかです。
・・・・・
水たまりに氷 初年兵らの刈上げた後頭部
ラナ・フェドトワ
カルーガ
「水たまりの氷―薄氷」は初年兵らの不安な気持ちを表しています。刈り上げた後頭部」には寒々しさと若者の初々しさが凝縮しています。細いうなじも見えてきます。
【現代俳句】
3位 ヴィクトル・マズリク選
あなたとこんなに遠くまで来すぎた-まっさらな雪
マリーナ・シャポヴァロワ
ウラジオストク
「まっさらな雪」は、まだだれも足を踏み入れていない未知の世界。清浄であるがどれくらい足が埋もれてしまうかもわからない。「遠くまで来すぎた」には不安・後悔…さまざまな感情が読み取れる。単に雪景色ではなく人生そのものを振り返っているような、さまざまに想像が広がる。
<そのほか、目に留まった作品>
3位
白夜キルトの毛布から苺の香
ヤーナ・ポルタラク
サンクトペテルブルグ
白夜の国の夜。眠りに就くとキルトから甘酸っぱい苺のような香。キルトは一針ずつ丹念に刺されたものですから、その香りはその家独特の香りなのでしょう。やすらかに眠れる。
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初雪……私もどこかへ行かないと
ガリヤ
エカテリンブルグ
雪は様々な地に降る。自在に。「初雪」に季節の到来を感じ、自分も新たなところに行かないと、と思う。
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新生活……結局洗わなかった もう君のものじゃないカップ
Rudzi
ウクライナ、チェルノモルスク
別れた恋人の使っていたカップ。「洗わなかった」に名残りをとどめようとしている。
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静寂 紅葉の森に毒茸
タチヤナ・ラズモワ
ルィビンスク
秋の美しい紅葉の森。あたりは平穏な静寂に包まれている。何事も起こっていない。しかし、毒茸はひっそりとその毒を隠しながら存在している。その不気味さ。人の世界にも通じている。
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雪が降る……あなたの髪に触れられたなら
Rudzi
ウクライナ、チェルノモルスク
「洗わないカップ」と同じ作者ですね。雪の降る夜、「あなたの髪に触れられたなら…」と想う。切ない句。雪や霜の夜に髪が登場する恋の歌は日本でも伝統的な取り合せです(日本ですと、雪・霜(白)-黒髪 という対比となります)。
【川柳】
1位、アレクサンドル・クドリャショフ選
口喧嘩いつ帰るのか猫に言う
ラリーサ・ゴロヴァヤ
ウクライナ、イズマイル
夫婦や恋人との喧嘩。飼っているペットに託して会話する。ペットに仲立ちをしてもらう。どこの国でも同じですね。ロシアの人は猫好き。猫は「何言ってんの?」という感じですが、二人の間を行き来してくれて、二人にはいつの間にか会話が戻ってくる。
<そのほか、目に留まった作品>
ヴィクトル・マズリク選
子供の絵ママは怖いくらい綺麗
ニコライ・グランキン
クラスノダール
「怖いくらい綺麗」がすごい。それくらい綺麗に描かなければママに怒られて怖いからなのか。それともママへの愛情のなせるわざか。
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タチヤナ・ソコロワ=デリューシナ選
通夜の席 未亡人を前妻二人が慰める
ナタリヤ・クズネツォワ
モスクワ
前妻たちも通夜にやってきて、お互い仲がいいというのは、亡き夫の人柄が偲ばれる。が、三回も結婚してけっこういい加減なところもあって、そこが憎めないタイプ(女にはまめ)なのだろう。どう慰めてもらっているか想像すると楽しい(亡夫はボロクソに言われていそう)。
【フリースタイル】
冬が来たジャガイモを茹でている間に
woda w reshete
リャザン
ジャガイモは日常的によく使われる野菜。とりたてて特別な野菜でもないでしょう。それを茹でるという日常的な営みのわずかな時間に「冬が来た」と季節を感じる感覚―それが俳句だと思います。
<そのほか、目に留まった作品>
夜の雪大熊座が身震いした
エレーナ・バルィシェワ
モスクワ
モスクワの雪の夜、寒いですね。雪が降りやんでみると、空に冴え冴えと星が光る。「大熊座が身震い」という大きな捉え方がファンタジーの世界のようです。「大熊」が効いています。
(余談ですが、日本の作家、宮沢賢治の『よだかの星』では、よだか(夜鷹)が星たちと会話をします。大熊の星も出てきますが、この話では星たちはみなよだかを冷たくあしらいます)
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待ちわびてバスの代わりに秋
ラジオン・フジン
ウファ
バスはなかなか来ない。ふと気づくと「秋」がきていた…。バスを待ついらいらした気持ちが一瞬で切り替わったのではないでしょうか。「詩心」をもっていると日常の様々な場面で新鮮な「気づき」があります。
【テーマ部門「長い休み時間」】
春の風……行場がないのにふと気づく
アルトゥラス・シランスカス
リトアニア、ヴィリニュス
柔らかな春風。長い冬が明け、周りの世界は動きだしている。でも、気づくと私には行場がない…。「春愁」という言葉(季語)があります。美しい季節であるのに心が晴れない。その鬱屈、理屈ではない心の屈託に「詩」があると思います。
<そのほか、目に留まった作品>
長い休み時間恋に落ちて遅刻した
アンドレイ・ナソノフ
クラスノダール
「長い休み時間」でも、恋に落ちるのは一瞬。その人から目が離せなくなったり、いなくなってからも思い続けたり。授業や仕事なんて遅刻してしまいますね。ここから先がまた大変なわけですが、恋をすると世界が一変します。
池田瑠那
【伝統俳句】
澄んだ空両手に纏わる路傍の菊苦菜
Anastasia Avis
モスクワ
野を歩く主人公の手をくすぐるように触れる、菊苦菜の葉の感触が伝わってくる句である。澄んだ青空は、主人公の心が俗塵を離れた清らかな状態にあることを示している。驕りを捨て、無垢な心で自然に接する者に、自然もまた菊苦菜の葉の柔らかさをもって応えてくれるのである。自然と人間の幸福な交流を描いた句と言える。故郷岩手(日本の東北地方)の自然を愛し、農業指導に献身した詩人・宮沢賢治の詩「一本木野」の一節「わたくしは森やのはらのこひびと/蘆(よし)のあひだをがさがさ行けば/つつましく折られたみどりいろの通信は/いつかぽけつとにはひつてゐる」に通じるものを感じた。
その他注目句
水たまりに氷 初年兵らの刈り上げた後頭部
ラナ・フェドトワ
カルーガ
水たまりに張った氷の印象が、初年兵らの緊張や不安を想像させる。「刈り上げた後頭部」という、物に即した描写の確かさが連想を支える。
ひとやすみ 風の香 李か水仙か
ウラジーミル・パルシン
バラコヴァ
「李」「水仙」の東洋的な印象のためか、一読、水墨画の世界に招じ入れられたかのような気分になった句。長く厳しい冬を乗り越え、春を迎えた喜びが伝わってくる。
【現代俳句】
夜の窓自分越しに星空眺め
ヴェトリン
モスクワ
夜の窓越しに星空を眺めることを、「窓ガラスに映っている自分の姿越しに」と詠んだユニークな発想に驚かされた。自分の像は星空と溶け合い、星へと向けられた眼差しはひととき、「この自分」から解放される。人智を越えた大いなるものの存在を感じさせる句。
その他注目句
初雪……私もどこかへ行かないと
ガリヤ
エカテリンブルク
天から降る清らかな初雪が、啓示のように人の心を動かした瞬間を捉える。水原秋桜子の「萩の風何か急かるる何ならむ」(句意 秋風に萩の花が揺れるのを見て、何かじっとしていられないような思いになった。一体何なのだろう。)も思い起こされる。
春爛漫ますます外見る授業中の子ら
ヴィクトル・スミン
ベルゴロド州カジンカ村
一面の春景色に気を取られる子らをたしなめつつも、微笑ましく見守る教師像が浮かぶ。筆者も教員をしているので心温まる思いで読んだ。
【川柳】
林檎の香 最後の出番かな 銅鍋
ボリス・チホミロフ
モスクワ
一読、厨房に満ちる甘酸っぱい香に鼻腔をくすぐられた。銅鍋に煮えるアントーノフカは去りゆく「黄金の秋」の名残として輝き、迫りくる厳冬期の糧となることだろう。昔話「イワン王子と火の鳥と灰色狼」等に登場する「黄金のりんご」のイメージも浮かぶ。
その他注目句
春の雷領帯に第七の十字架
アレクサンドル・サヴォスチヤノフ
クリンツィ
春雷に肩をすくめる神父。その時、彼が神の庇護のもとにあることを表す、領帯の七番目の十字架の存在がひしと身に感じられる。春雷も十字架も、天と地、神の領域と人間の領域とを結ぶものだと気づかされる。
春の月!恋の溜息つく魔法瓶
ワルワラ・ジーカヤ
スウェーデン、ウメオ
魔法瓶から湯を注いだ時に立つ湯気を、「恋の溜息」ととらえた発想が面白い。夜空に浮かぶ春の月も朧げに柔らかく、主人公の物思いを誘うのだろう。
【フリースタイル】
夜の雪 大熊座が身震いした
エレーナ・バルィシェワ
モスクワ
雪を載せた家々の屋根の上、北天に輝く大熊座が身震いしたという。この後、大熊座(母熊)と小熊座(子熊)は「今夜は寒いねえ」等と言い交わすのではないだろうか。一年のうちでも、星の瞬きが最も大きくなるのは上空の風が強まる冬場のことであり、寒夜、星々が瞬く様子はなるほど星座の「身震い」のようにも見える。四季の星空へ向けられた、作者の確かな観察眼がこの童話的な世界を支えているのだ。星のきらめきを星同士の会話ととらえた松本たかしの句「雪だるま星のおしやべりぺちやくちやと」も思い出される。
その他注目句
三月の雪水溜に届くのはその名前だけ
ドミトリー・シェスタコフスキー
ドネツク
三月の雪が水溜に儚く消える様子を、「名前だけが届く」と捉えたのが面白い。まるで、原本や写本が散逸してタイトルだけが伝わった物語のようだ。(日本にもこのような散逸した物語が幾つもあります)
待ちわびてバスの代わりに秋
ラジオン・フジン
ウファー
晩夏のバス停でふと秋の気配を感じたということなのだろうが、バスの代わりに秋が来たと言いとめたことで詩になった。日常の景の中のバス停が、不思議な世界の入り口のようにも感じられる。出だしの「ジジョーシ パジジョーシ」のリズムも良い。
【テーマ部門「長い休み時間」】
最後の授業 花壇で触れ合うチューリップの杯
イネッサ・ファー
カザン
名残惜しい思いで受ける最後の授業、ふと窓の外に目をやれば花壇のチューリップが、暖かな風に吹かれている。チューリップ同士が触れ合う様子を、乾杯の場面のように描いたのが楽しい。色とりどりのチューリップは授業を受けている学生たちの分身とも見え、その「乾杯」は卒業を祝い、学生たちの明るい前途を祈るもののように思える。
その他注目句
長い休み時間タンポポは飛行準備完了
バフチヤル・アミニ
ドイツ、デュッセルドルフ
長い休み時間にしっかりと力を蓄えていたタンポポはいつでも種を飛ばせるとばかりに綿毛をなびかせ、どこか誇らしげだ。人間のわれわれもこのようでありたいと思う。
長い休み時間恋に落ちて遅刻した
アンドレイ・ナソノフ
クラスノダール
主人公が遅刻の言い訳としてこう言ったようにも解釈できるし、本当に休み時間(長いと言っても数十分か)の間に恋に落ちてしまったとも解釈できる。ラブ・コメディ映画の冒頭のようで、想像を掻き立てられる句。
町田無鹿
【伝統俳句】
アンナ・セミダ選
昼の月射程外に最後の林檎
ウラジーミル・アグラノフスキー
ヴォロネジ
儚げな昼の月と、樹にひとつだけ残った林檎。両者は形の上でも似ていますが、ともに作者の手の届かないところにあるという共通点もあります。静謐な絵画のような句ですが孤独感もあり、作者の心情を想像させます。
その他、惹かれた句。
アンナ・セミダ、サンジャル・バインベトフ選
水たまりに氷 初年兵らの刈上げた後頭部
ラナ・フェドトワ
カルーガ
刈り上げた髪が寒々しくも初々しい初年兵たち。髪型だけでなく服装も所作もまだぎこちない。水たまりの氷が彼らのはりつめた心を表しています。
厚い雪なだらかになった父の墓
nogitsune
ウラジーミル
雪が降り積もって父の墓を覆い尽くし、やがてなだらかな小山のようになった。さびしい光景ですが、父が雪の毛布の下で安らかな眠りについているようにも見えます。清らかな雪に抱かれて、再生の季節である春を待つのでしょう。
【現代俳句】
2位 ヴィクトル・マズリク、ノラ・マリーナ、アレクサンドル・クドリャショフ選
鉛の兵隊かつて話していた私の声で
セルゲイ・スロエフ
ヴォトキンスク
子供時代のお気に入りだった鉛の兵隊を「私の声でかつて話していた」と表現したことに驚かされました。かつて作者によって命を吹き込まれ、生き生きと動き、話していた兵隊たちは、今は物言わぬ鉛の塊となっておもちゃ箱に眠っています。なつかしさと切なさをかき立てる句です。
その他、惹かれた句。
サンジャル・バインベトフ選
初蝶々!靴中の石を振り落とす
スヴェトラーナ・スミルノワ
コロリョフ
初蝶( 日本では春の訪れを告げる存在です)を見つけて心浮き立つ気持ちが伝わってきました。靴に入り込んだ小石を勢いよく振り落とし、蝶を追いかける姿は身軽で楽しそうです。
女の子の群れ 虫入り琥珀のショーケース曇る
アリタト
ヴォロネジ
琥珀のショーケースをのぞき込む女の子の群れ。ショーケースが曇る様子から、彼女たちの熱気と息遣いが伝わってきます。太古の虫を閉じ込めた琥珀と、生命力あふれる少女たちとの対比があざやかです。
帽子取る博物館の硝子の下に愛する女(ひと)への手紙
アナスタシヤ・マグヌス
ハバロフスク
手紙を書いた人も受け取った人もすでにこの世の人ではなく、ただ愛の言葉だけが今に残されています。そのことに心を動かされ、敬意とともに思わず帽子をとったのでしょう。だれかの恋文を読むことに少し申し訳ない気持ちも感じているのかもしれません。
【川柳】
日曜朝……伸びてまた寝る壁の影
nogitsune
ウラジーミル
一旦は起きたけれどやっぱりもう少し寝ることにして、ふたたびベッドに横たわる。日本語では「二度寝」と言いますが、日曜日ならではの贅沢ですね。人物の動きを影で表現しているのがユニークで、短いアニメーション映画を見ているような趣があります。
その他、惹かれた句。
1位、アレクサンドル・クドリャショフ選
口喧嘩いつ帰るのか猫に言う
ラリーサ・ゴロヴァヤ
ウクライナ、イズマイル
喧嘩したカップルの伝言係をさせられている猫。喧嘩といってもそう深刻なものではないのでしょう。猫が仲立ちになって自然に仲直りできそうです。日本には「子はかすがい(かすがい=材木を繋ぎとめる金属)」という諺がありますが、この句では猫がかすがいになっています。
サンジャル・バインベトフ選
好きか嫌いか 野菜を選び独り言
yutolk
モスクワ
恋の行方を占っているかのように、独り言をつぶやきながら野菜を選んでいます。食材選びは命に直結する重大事ですから、恋よりも真剣になるのかもしれません。モスクワのスーパーで見た色とりどりの野菜を思い浮かべながら読みました。
【フリースタイル】
3位 エレーナ・シャスチナ選
風が吹く足長葵の三十二回のフェッテ
スヴェトラーナ・コンドラチエワ
サンクトペテルブルグ
足長葵をインターネットで調べましたが、日本で立葵と呼ばれている花によく似ていると思いました。すらりと背の高いその花が風にあおられて回転する様をバレエのフェッテに喩えています。32回のフェッテといえば『白鳥の湖』の黒鳥。この花は黒みがかった妖艶な紫色でしょうか。
その他、惹かれた句。
1位 ノラ・マリーナ、アレクセイ・アンドレーエフ選
冬の陽ソファで眠る架空の猫
エフゲニー
キプロス、リマソール
猫は日溜まりが大好き。あたたかそうなソファを見て、思わず猫を眠らせてみたくなったのでしょう。作者の思い描いた猫はどんな姿をしていたのでしょうか。作者が本物の猫を迎える日も近いかもしれません。
北風……低い枝は「イエス!」高い枝は「ノー!」
ズース
イスラエル、ツファット
ロシア語の Да と Нет を擬音として用いているのが楽しい。 北風が通り抜ける時、低い枝は濁音混じりの音を、高い枝は鋭い音を立てるという描写にも実感があります。
【テーマ部門「長い休み時間」】
3位
背の目盛り 村に行かなくなったこことここ
アレクセイ・ファン
サンクトペテルブルグ
壁に残された背丈の記録が一部途切れている。村には祖父母がいるのでしょうか。村に行かなくなった理由は明らかにされていませんが、作者は後悔を感じているようです。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、2020年は多くの人が故郷への帰省を控えました。この句のような光景が世界中で見られたのではないでしょうか。
その他、惹かれた句。
遠方からの電話姪が姉の声で話す
マラト・シェリフ
ウクライナ、リヴィウ
久し振りに電話で話した姪を、その母である姉と取り違えてしまった。そっくりだけれど姉よりも少しだけ若い声。それを聞いて、作者も若い頃に戻った気分を味わったかもしれません。